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東京地方裁判所 平成4年(ワ)12938号 判決 1996年3月27日

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金一〇二二万九〇八五円及びこれに対する平成元年八月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金九九三八万六五一九円及びこれに対する平成元年八月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、被告乙山二郎(以下「被告二郎」という。)により階段から突き落とされて受傷し、損害を被ったとして、被告二郎に対し民法七〇九条に基づき、被告二郎の親権者(父母)である被告乙山松夫(以下「被告松夫」という。)及び被告乙山春子(以下「被告春子」という。)に対し民法七〇九条(監督義務違反)又は七一四条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1 原告(昭和五二年七月七日生)は、父丙川太郎、母甲野花子(以下「花子」という。)の長男であり、被告二郎(昭和五二年五月一一日生)は、父被告松夫、母被告春子の長男である。被告松夫は整形外科の医師である。

2 原告と被告二郎は、平成元年八月三日当時、ともに小学校六年生であり、東京都中野区《番地略》丁原ビルに所在する中学受験準備のための学習塾甲田会中野教室(以下「甲田会」という。)の塾生であった。

3 平成元年八月三日午後七時過ぎころ、原告は東京都中野区《番地略》サン戊田ビル二階に所在する甲田会の教務員室から戸外へと通じる階段上から転落し(以下「本件事故」という。)、左足関節を受傷した(以下「本件受傷」という。)。

二  原告の主張

1 本件事故は、次の経過で起きたものであり、被告二郎が原告を故意に突き落としたことから生じた。

すなわち、原告は、平成元年八月三日の甲田会の講義終了後、教務員室から戸外に通じる階段の下で友人らと雑談をしていたところ、右階段の上にいた被告二郎が原告に対し、「何の話をしているんだよ。まあ、甲野たちのことだからどうせくだらない内容だな。」と話しかけた。原告は、被告二郎に対し、親切に話の内容を教えようと右階段を最上段まで上がったところ、被告二郎から「お前は、乙野松子が好きなんだろう。」と原告が好きでもない女子生徒の名前を挙げて侮辱されたので、「何だよ、ウサギ(ウサギとは甲田会の教師のつけた被告二郎のあだ名である。)。」とのみ言った後、右階段下にいた友人らのもとに戻るべく最上部から階段を下りようと一段足を踏み出したところ、被告二郎により突然背後から両手で力一杯突き落とされた。原告は、手すりにつかまって階段を下りていたがその手が離れてしまうほど強い力で押され、右階段の最上部一段目付近から最下部二段目の段まで気をつけの姿勢で落下し、約六キログラムの鞄を背負っていたこともあり、落下の際に両足特に左足関節に強度の衝撃を受け、左足関節の靭帯を著しく損傷した。

被告二郎は、右階段下で横たわっていた原告に対し、にやにや笑いながら「こんな所から落ちて死なないなんて運動神経がいいんだな。」と暴言を吐いた。

被告二郎は、甲田会の準拠している四谷丙山進学教室での合否判定テストにおいて被告二郎と原告との成績が逆転したことから原告を妬んで本件事故を引き起こしたものである。

被告二郎は本件事故当時一二歳二月の未成年であるが、急な階段を降りようとする者を背後から力一杯突き落とすことは危険な行為であり、その結果突き落とされた者が負傷をするであろうことは十分理解しえたのであり、民法七〇九条により不法行為責任を負う。

2 被告松夫、被告春子は、被告二郎の親権者で監督義務者として、日頃から被告二郎が第三者に対して危険な行動を取らないように指導監督する義務があったにもかかわらず、これを怠った過失により本件事故が発生したものであり、被告松夫、被告春子の過失と原告の負傷との間には相当因果関係があるから、民法七〇九条により不法行為責任を負う。仮に、被告松夫、被告春子は、被告二郎が民法七一二条にいう責任無能力者に該当する場合には、被告二郎の監督義務者として民法七一四条により不法行為責任を負う。

3 本件事故と原告の後遺障害との間には相当因果関係がある。

原告は本件事故により左足関節の靭帯を著しく損傷したものである。すなわち、原告は伊東医院での診察の結果、左足関節捻挫との診断を受けた。原告は、左足関節の靭帯が伸び切ってしまい、左足関節が九〇度以上も反り返ってしまう状況であった。医師からは安静を命じられ、運動をすることが禁じられた。左足関節の激痛は引かず左足を地面につけることができず歩くことすら困難な状態が続いた。

その後、左足関節の症状は若干緩和されたものの、現在でも左足関節捻挫は完治していない。また、右負傷の結果、左足関節に力が入らず、身体を右足で支えて歩行せざるをえないため右足親指に力が入り、爪が食い込み、ひょう疽になった他、右足中心の歩き方のため体の中心が曲がり左内股が強く、腰痛、手足のしびれ等の症状が発生している。

これに対し、被告らは、原告の治療期間の長期化及び後遺症の原因が初期治療での医療過誤にあるというが、次の理由により伊東医院の伊東秀雄医師(以下「伊東医師」という。)、横山俊次医師(以下「横山医師」という。)に過失は存しない。すなわち、<1>伊東医師及び横山医師は視診及び触診を行った結果捻挫であるとの診断を下したのであり、初診時にストレスX線検査、関節造影法等の手法が用いられなかったことが過失とはならない。<2>現在においては弾性包帯やサポーターによるいわゆる保存法も外固定であるギプス固定療法と同様に一般的に承認され広く利用されていることからすれば、ギプス固定療法でなく保存法を用いたこと相当である。<3>損傷程度に応じた関節固定法である弾力包帯による固定が受傷直後からなされ、腫れが引いてからはサポーターによる固定がなされ、さらに受傷後約一年間家の中では常時、一年経過後は外出時に装具を着用して反復捻挫の予防に努めているのであるから、この点において医師の不適切な指示は存しない。

仮に伊東医師、横山医師に何らかの過失があるとしてもその医療過誤と被告二郎の加害行為とは、共同不法行為になるべき性質のものであるから被告らは原告の被った全損害の賠償責任を免れることができないというべきである。

4 本件事故と原告の神経症罹患との間には相当因果関係がある。

原告は、本件事故により足が不自由となった劣等感、被告らが本件事故の発生後本件事故の原因が被告二郎の故意による突き落とし行為であることを一貫して否定し続けたこと、その他多くの人々から種々の裏切りを受けたことにより多大な精神的損害を被った。その結果、現在原告は集団適応不全を主たる徴候とする神経症を発症するとともに、出席日数不足のため在学している私立乙原高校での進級も三年間遅れ、退学せざるを得ない状況である。これらも本件事故に起因する損害である。

5 損害

原告の被った損害の内訳は以下のとおりである。

(主として足の怪我による損害について(但し、一部神経症発症にも関連する項目も含む。))合計六四二〇万五三三六円

(一) 積極損害 九〇一万四三三六円

(1) 治療費及び交通費等 四四万七〇九〇円

<1> 伊東医院(平成元年八月四日から平成五年二月二七日まで)(ただし、甲田会から支払を受けた平成二年七月二四日までの治療費を除く。)一三万八八四〇円

<2> 東京大学医学部附属病院(以下「東大病院」という。)(平成二年八月一七日、平成四年三月三一日、平成七年四月一九日)五二〇〇円

<3> 原整形外科医院(平成四年五月六日、同月一三日、同月二七日)二万〇〇六三円

<4> 東京都立心身障害者センター(平成四年四月一日、同年七月二一日)五九九〇円

<5> 中村指圧整体治療所(平成五年一月二五日、同月二九日)一万〇四六〇円

<6> 足関節サポーター代金(平成四年一一月二〇日)一四九三円

<7> 宮嶋整形外科(平成五年一月一二日)一万三七九〇円

<8> 消毒薬代金(平成六年八月一三日)六七〇円

<9> 九州労災病院、若草病院、野島診療所を来訪する際の交通費及び宿泊費(九州労災病院については平成六年三月二七日、同月三一日、若草病院については平成六年三月二九日、野島診療所については平成六年三月三〇日)一〇万六八五四円

<10> 野村茂治医師(医科「野村医師」という。)往診時の宿泊費等(平成六年一二月一〇日)一三万五五六〇円

<11> 花子が丙原竹夫弁護士にも裏切られ度重なる裏切りにより不安神経症になり息苦しいため外出先から帰宅できなくなったためのタクシー代、あらいやくしクリニック(平成七年六月二九日、同年七月六日)、中野総合病院における診断料等 八一七〇円

(2) 通塾費用 七四四〇円

本件事故により、原告は自宅から甲田会までタクシーで通塾せざるを得なくなったため利用した往復のタクシー代(平成元年九月一日から同月一五日まで。ただし、通常かかる往復のバス代一往復当たり三二〇円を控除する。)

(3) 家庭教師費用 八六万四六〇〇円

本件事故による原告が通塾することが不可能となりやむを得ず雇った家庭教師代(平成元年九月一七日から同年一二月二三日まで)

(4) 塾費用 二九万八七八六円

<1> 既に払い込んでいた甲田会の塾費用(平成元年九月一七日から一〇月末までの分として六万六四三五円)、四谷丙山進学教室の塾費用(平成元年九月分から平成二年一月分までとして五万六〇〇六円)が、本件事故により原告が平成元年九月一七日から通塾することが不可能となったため無駄となったもの 一二万二四四一円

<2> 平成二年に払い込んだ丁川塾の塾費用(平成二年四月分から七月分までとして六万三〇〇〇円)、戊原会の塾費用(平成二年三月分から七月分までとして四万三九三五円)、甲川会の塾費用(平成二年四月分から七月分までとして六万九四一〇円)が、本件事故後の足の痛みと体力衰弱により受講できずに無駄となったもの 一七万六三四五円

(5) 通信費、訴訟関連費用等の雑費(平成元年八月四日から平成四年六月一二日まで) 五五万八一二九円

(6) 足関節固定用の靴代金(本件事故のため医師より足関節を固定する靴を履くように指示されたため現在まで購入した編み上げ靴九足分及び革靴二足分の代金に交通費を加算したものから通常購入すべき運動靴(一足二〇〇〇円相当)四足分及び革靴一足分(一万円相当)の金額を差し引いたもの)二五万〇八六八円

(7) 医師、看護婦への謝礼(平成元年八月四日から平成七年八月三一日)三三万四八七六円

(8) 器具購入費用(本件事故後原告は運動が思うようにできないため慢性的な運動不足を解消し筋力をつけるために購入した筋力トレーニングマシンの代金)三万〇六九四円

(9) 将来の装具代、靴代金(本件事故により原告は靴を履く際左足関節を固定する装具を装着しかつ半年ごとに交換しなければならなくなった。将来にわたって必要となる装具代金及び諸費用の原価を新ホフマン係数を用いて算出したもの)五四九万一四六四円

(10) 医療過誤問題経費 五万三六二八円

<1> 丁山法律事務所に対する相談料等(戊川弁護士が被告らの医療過誤の主張に反論してくれる医師を探せないので、平成六年三月五日、丁山法律事務所に対し支払った相談料等)四万〇八五八円

<2> 書籍代金(医療過誤に反論する医師を探せなかったため購入した関節靭帯損傷に関する文献二冊)八六四〇円

<3> 国会図書館までの交通費等(医師過誤に関する調査及び被告らの医療過誤の主張に反論してくれる医師を探すため、平成六年三月一八日、国会図書館に行った際の資料コピー代金及び交通費)六三〇円

<4>  書留郵便料金(医療過誤問題解決のため九州労災病院山本院長及び野村医師への書留郵便料金)三五〇〇円

(11) 裁判資料作成費 一七万六七六一円

<1> 裁判資料作成費等 一二万八三〇〇円

<2> 証拠写真代 三八〇二円

<3> コピー代 一万二六五二円

<4> 文房具 一万〇〇五七円

<5> 相談料、交通費等 二万一九五〇円

(二) 消極損害(逸失利益) 三五六九万一〇〇〇円

原告は私立乙原高校に在学していたものであるから、卒業後は相当の大学に進学しかつ相当の企業に就職する蓋然性が高かった。したがって原告の後遺症による逸失利益については大学を卒業しかつ企業規模一〇〇〇人以上の企業に就職することを前提とすべきであるところ、原告は後遺障害別等級表第一〇級相当の後遺障害により二七パーセントの労働能力を喪失した。すなわち、原告が受傷した左足関節捻挫は現在においても完治せず将来的にも完治しないものと診断され後遺障害として残ってしまったが、右後遺障害は歩行時に左足関節固定のための装具を常時装着しなければならないものであり後遺障害別等級表第一〇級一一号にいう「一下肢の三大関節の一関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当する。原告は二六歳から六七歳まで就労することが可能であり、これにより原告が被った後遺障害による逸失利益

(三) 慰謝料 二〇〇〇万円

(1) 原告は、本件受傷前は健康体であったにもかかわらず、本件負傷により約三年間にわたり歩行時足関節固定の装具装着を強いられ、この間ときには歩行すら不可能な時期もあった。現在及び将来においても運動ができない状態にある。また、本件受傷を契機に原告の体力、筋力の衰えは著しく、満足に歩行ができないためにストレスがたまり劣等感を感じるようになってしまった。

(2) 原告は、医師から将来症状が悪化した場合には手術になるおそれがあると言われているが、成功する可能性は三割程度であり仮に成功したとしても完全な回復を期待することができず、将来にわたり症状の悪化に対する不安感に日々さいなまれ続けることになる。

(3) 本件事故は被告二郎の故意による突き落としであり、さらに、被告らは現在に至るまで一言のおわびや見舞いもなく逆に罵詈雑言を浴びせることに終始した。

(4) 被告らが被告二郎の故意の突き落とし行為であることを否認し、原告の後遺障害については被告松夫の専門分野での医療過誤問題が原因であるとすりかえたため、原告は神経症を発症し、外出不能となり、乙原高校も三年間留年し退学せざるを得なくなった。

以上のような原告の精神的損害を慰謝する金額は少なく見積もっても二〇〇〇万円を下らない。

(主として神経症発症による損害について)合計三四六八万一一八三円

(四) 積極損害 五〇二万一一八三円

(1) 治療費及び交通費等 一四〇万八四三五円

<1> 中野神経外科(平成五年六月一七日、同月一八日) 二万一五六〇円

<2> 水野昭夫医師(医科「水野医師」という。)(平成五年一〇月一三日から平成七年八月三一日まで) 一三八万六八七五円

(2) 高校の授業料(原告は順調にいけば平成八年四月に大学に進学することができる予定であったが、神経症による出席日数不足のため三年の進級遅れを余儀なくされたため出費した三年分の学費) 一二八万三八四六円

(3) 入退院時の衣類等送付代金(平成六年三月一一日から平成七年八月二三日まで) 二万三九四〇円

(4) 下宿代(平成七年四月ないし六月分) 三五万四九六二円

(5) 将来の入院費等経費(今後一年半の入院費等の費用) 一九五万円

(五) 消極損害(逸失利益) 二九六六万円

原告は平成七年現在私立乙原高校一年に在学していたものであり、卒業後は相当の大学に進学しかつ相当の企業に就職する蓋然性が高い。したがって原告の後遺症による逸失利益については大学を卒業しかつ企業規模一〇〇〇人以上の企業に就職することを前提とすべきであるところ、原告は神経症発症のため進級が三年遅れさらに症状が悪化しているため今後最低でも一年半の入院加療を必要とする。これにより原告が被った四年分の賃金額相当の逸失利益(給与損)

(その他)

(六) 弁護士費用(武田博孝弁護士への着手金) 五〇万円

(合計)

(七) 合計 九九三八万六五一九円

よって、以上の損害を合計すると九九三八万六五一九円となり、原告は、被告らに対し、右金員及びこれに対する不法行為の日である平成元年八月三日から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告らの主張

1 本件事故は、原告のいたずらに対する被告二郎の回避動作の結果として生じたものであって、故意に階段から突き落としたものではない。

すなわち、原告は、平成二年八月三日の甲田会の授業が終了した後被告二郎が教務員室前の階段上の踊り場にいたところ、原告が「ウサギちゃんは耳をつかむと耳が傷むって本当かな。」と言って被告二郎の耳ないし首をつかもうとしたので、被告二郎が回避動作として原告の手を振り払ったところ、原告が階段を数段踏み外し階段の手すりにつかまって滑り落ちてゆき、左足関節をひねったものである。

被告二郎は、滑り落ちた原告に対し、「大丈夫。」と声を掛けた。

したがって、本件事故は、原告と被告二郎との過失の競合により生じたものであり、原告の過失割合は七〇パーセントを下らない。

原告は、塾のテストにおいて被告二郎と原告との成績が逆転したことから原告を妬んで本件事故を引き起こしたものであるというが、各試験の成績順位は各週ごとにばらばらで必ずしも逆転したとはいえない。

2 被告松夫、被告春子の親権者、監督義務者としての過失責任及び過失の内容、また、民法七一二条に関する七一四条の責任に関しては、いずれも否認または争う。

3 本件事故と治療の長期化及び後遺障害との間には相当因果関係がない。

すなわち、本件事故直後の原告の捻挫の程度は軽度のものであったが、原告の受けた初期治療が極めて不適切、不十分であったため、治療が長期化し、後遺障害が残ったもので、その主たる責任は、本件初期治療に当たった医師である伊東医院の伊東医師及び横山医師及び正しい初期治療を受けさせなかった原告の母親である花子にある。本件受傷は原告主張のような重度損傷ではなかったし、仮に原告主張のとおりとしても、早期に特殊レントゲン検査を実施し損傷靭帯の修復手術もしくはギプス固定等の強力な安静措置法を選択すべきであり、これを実施すれば、三か月以内に治癒していた可能性があった。また、整形外科の専門医である被告松夫は、花子に対し、直接ないし塾講師を通じて間接的に、専門医による受診を数回にわたり勧めたが受け入れられなかった。

伊東医師及び横山医師の診療経過については次の諸点を指摘することができる。すなわち、<1>初診時である平成元年八月四日のカルテにおいて他覚的局所所見の記載がなく、レントゲン写真も二方向の単純撮影のみであり、治療法に関しても投薬の他に明確な記載がなく外固定法としてのサポーター使用についても施行の有無及び施行時の装用期間が不明である、<2>平成元年一〇月三〇日のカルテにおいて足関節の内反動揺性が初めて記載されている、<3>平成元年九月七日のカルテにおいて軽減していた疼痛の増強がみられたとの記載があり、その一週間後に動揺関節が指摘されている、<4>平成二年二月五日のカルテにおいて前距腓靭帯部の陥凹所見の記載があり、同年七月二五日のカルテにおいて足関節前面の膨張の記載がある、<5>専門医である東大病院整形外科への紹介は本件受傷後一年以上を経過している、<6>平成二年八月一七日以降のカルテにおいては足関節に関する異常所見の記載は減少している。以上の点からすれば、初診時において原告に足関節の高度内反を伴う重度の靭帯損傷は認められなかったというべきである。

仮に、原告が主張するように原告に足関節の高度内反を伴う重度の靭帯損傷があったとすれば、伊東医師及び横山医師の診断及び治療に不適切な点があったというべきである。すなわち、伊東医師及び横山医師は、<1>原告の主張する重度足関節外傷の詳細な診断及び治療法の選択のために初診時においてストレスX線撮影及び関節造影をすべきであったのにこれを怠った、<2>原告の主張する重度足関節外傷について損傷靭帯の修復手術又は一ないし三週間の安静を目的とした外固定であるギプス固定をすべきであったのにこれを怠った。そして、<3>固定力の不十分な治療法を選択したために罹患関節の安静保持が困難となり、さらに小外傷の反復が治療を長期化させた可能性が高い。

原告は、仮に伊東医師、横山医師に何らかの過失があるとしてもその医療過誤と被告二郎の加害行為とは、共同不法行為になるべき性質のものであるから被告らは原告の被った全損害の賠償責任を免れることができないと主張するが、失当である。被告二郎の行為と伊東医師、横山医師の治療行為との間には性質の異なるものが競合しており、また行為の異時性があるので、両者は客観的に関連共同しておらず、共同不法行為が成立することはない。

さらに、原告が足関節外傷と関連した障害として主張する足趾の陥入爪については、平成四年六月二四日、同年七月二〇日のカルテからも明らかなように、両足の第一趾に共に認められることからみて、外傷との因果関係はないというべきである。

4 本件事故と原告の神経症罹患との間には相当因果関係がない。

三年以上の長期にわたり心因反応として精神状態が継続していたことは精神医学的診断基準に照らして考えがたいので、原告の精神状態を心因反応(うつ状態)とする中野嘉医師の診断書を前提とすると、精神症状が発現したとされる平成四年一二月一五日から三か月前後遡った頃の精神的ストレスが原因であるとみるべきであり、原告の精神状態は、原告が訴訟の当事者となった精神的衝撃(本訴第一回口頭弁論期日が平成四年九月二四日である。)、治療が長期化した後遺障害が残ったこと(その責任は、伊東医師及び横山医師及び正しい初期治療を受けさせなかった花子にある。)、原告の家庭内における母親花子の影響等によるものである。

四  争点

1 被告二郎の責任及び過失割合

2 被告松夫、被告春子の責任

3 本件受傷の内容

4 本件事故と後遺障害との相当因果関係

5 本件事故と神経症発症との相当因果関係

6 損害額

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告二郎の責任及び過失割合)について

1 争いのない事実及び《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

原告と被告二郎は、小学校四年生の頃、中学受験準備のための学習塾である甲田会で塾生として知り合い、本件事故当時、ともに甲田会の夏期連日特訓に通学していた。本件事故当時、被告二郎は身長約一四四センチメートル位で、他方原告はそれより少なくとも一〇センチメートルは高かった。

本件事故現場の状況については以下のとおりである。すなわち、甲田会の教務員室は、サン戊田ビルの二階にあり、外階段で出入りする構造になっている。階段は、鉄製で、最下部はコンクリート製となっており、最下部まで含めて一四段で、両側に手すりがあり、高さ約三メートル弱、幅約一メートル、角度約四五度である。階段の上部には踊り場があって、踊り場と教務員室入口の開戸がつながっている。

平成元年八月三日午後七時過ぎころ、夏期連日特訓の授業を終えて、被告二郎は、甲田会の教務員室に行っていた友人を待つため、教務員室から戸外へと通じる階段の上の踊り場で立っていたとき、階段の下で数人と一緒に話をしていた原告に対し、原告が好意を寄せていると考えていた女子塾生の名前を挙げて「また乙野のことでも話してるんだろう。」とからかった。これに対し、原告は立腹し「何だよ、ウサギ。」(なお、「ウサギ」とは、甲田会の先生がつけた被告二郎のあだ名である。)と言いながら、階段を上がり、踊り場の上で被告二郎と向かい合うような位置に立ち、被告二郎に対し、乙野のことを話していたことを否定し、その場で「ウサギちゃんも首持つと皮剥けるのかな。」と言って被告二郎の背後から手を回して首を持とうと近づいてきたので、被告二郎がこれを回避しようとして原告を振り払った結果、原告は、前向きの姿勢で踊り場から階段の下の方まで転落した。なお、原告はこの時、夏期連日特訓に必要な書籍、ノート類約二〇冊前後等を入れた重さ数キログラムの鞄を背負っていた。

2 以上によれば、被告二郎は、当時小学六年生で、前記のような急な階段の上部にある踊り場において不用意に急な動作をすれば相手が落下し、相当程度の怪我を負うであろうことを十分予測できるのに、その注意を怠った結果、原告を階段から転落させる結果を招いたものであり、本件事故により原告が受傷するについて過失があったことは明らかである。そして当時、被告二郎は、成績も良く、私立丙田中学校に合格した程であり、右のような加害行為の法律上の責任を弁識しうる知能をしていたと認めることができる。

3 補足説明

(一) 原告作成のメモ、陳述書は本件事故の経過について記述したもので原告の主張に沿うものであるが、その信用性は全体的に見て高いとはいえない。すなわち、原告のメモについては、事故直後に作成されたものでなく、事故後数か月して既に被告側との間で事故態様等について争いがあり、内容において原告のメモとほぼ同様の陳述書についても同様の問題があるほか、右陳述書途中で終わっており、また原告については健康上の理由で本人尋問を実施することができず、反対尋問の機会が与えられてはいない。また、その内容自体も、原告が被告二郎に会話の内容を教えるために階段を上がって行きながらすぐ降りようとしたという点において、行動としていささか不自然である。

(二) 原告が「ウサギちゃんも首持つと皮剥けるのかな。」と言って被告二郎の背後から手を回して首を持とうと近づいてきたので被告二郎が回避動作を取ったという点については、右の原告の発言が当日の国語の授業に出てきた文章(「彼は、つかまえるには両耳よりも首すじがよいといってつまんだところ、ノウサギは体をもがき、そのはずみで生皮が一センチ平方ぐらいむけてしまった。」)を受けており、被告二郎が本件事故直後から両親に話していることからみて、被告二郎の証言を信用することができる。これに対し、「何だよ、ウサギ。」とのみ言った後、階段を降りようとしたとの原告の説明は、前後の状況から見て唐突の感を否めない。

原告は、被告二郎が平成元年七月九日に実施され同年八月一日に成績が発表された四谷丙山進学教室の第二回合不合判定予備テストにおいてその成績が逆転したことから被告二郎が原告を妬んで故意に階段から突き落としたと主張する。《証拠略》によれば右テストにおいて原告は四教科の総合得点で二点差で被告二郎を上回ったこと、《証拠略》によれば原告は平成元年五月一四日から同年九月二四日まで中野会場C三組であったところ同年一〇月一日から平成二年一月二一日まで中野会場C一組となったことがそれぞれ認められるが、<1>平成元年五月七日(シリーズ<3>第一一回)、同月二八日(同第一四回)、六月四日(同第一五回)、六月一一日(同第一六回)、六月一八日(同第一七回)、六月二五日(同第一八回)、七月二日(同第一九回)各実施の四谷丙山日曜教室での毎回のテストの成績において常に被告二郎が原告より上位にあったわけではなく、平成元年六月四日(同第一五回)、同年六月一一日(同第一六回)実施のテストでは原告の方が上位であったことが認められること、<2>七月九日実施のテストの結果が四谷丙山進学教室での最後のクラス分けのための試験であったと原告は主張するが、右テストの案内にはかかる記載はなく、かえって六年生最後の組分け処理は平成元年五月一四日から同年七月九日までの合計九回分の日曜テストの成績をもとになされたことが認められること、<3>成績発表から本件事故まで二日経過しており、本件事故前の原告と被告二郎のやりとりにおいて右テストの成績のことで被告二郎が原告を妬んでいたとの事情が窺われないこと等からみて、被告二郎には、原告を故意に階段から突き落とすような動機は窺われず、右原告の主張は理由がない。

(三) 事故状況を目撃した生徒が作成したメモがある(丁野春夫のメモ、戊山夏夫のメモ)が、原告の祖母である甲野ハナの記載した「乙山君が甲野君を両手で押したのを見ました。8月12日」「甲野君は乙山君には何もしていませんでした。乙山君が両手で押したのを見ました。8月12日」といった前書きのあとに書かれており、作成依頼者の強い誘導によって書かれたことが窺われ、メモ作成者がいずれも当時小学校六年生と年少であることも考慮すると、目撃状況を記憶に従って正確に記載されたかどうかについて疑問があり、証拠として採用できない。

また、平成五年七月九日付けの被告二郎作成のメモがあり、原告は任意でなされたものであると主張するが、本件訴訟提起後に花子が被告二郎の在学中の学校を訪問して被告二郎に直接面談し、何回も書き直しをさせた結果作成されたものであり、花子の誘導による疑いが強いものであって、信用性に欠け証拠として採用できない。

(四) 塾保険の適用の経緯については、《証拠略》によれば、甲山が本件事故現場は見ていないが、現場を目撃していた生徒から事情聴取等をした結果、本件事故が子供同士のふざけ合いから生じたものであると判断して当初保険会社に対し医療費等について保険申請をするつもりであったところ、花子から本件事故は被告二郎の故意によるものであるとの申出がありその結果として保険申請は取り下げされたことが認められる。この点、原告は、甲山が本件事故が故意であることを認めたために保険申請を取り下げたものである旨主張するが、目撃をしていない甲山が本件事故態様につき明確な返答をすることは不自然であり、仮に甲山が本件事故が故意であることを認めたとしてもそれは花子の申出による結果であり、本件事故が故意によるものであることを認定する根拠となりえない。

(五) さらに本件事故態様についての花子の供述があるものの花子自身は本件事故を目撃したわけではないので、その正確性には疑問があり、採用できない。平成元年八月一七日、被告二郎が「ムカッとして突き落とした。」と認めたとする花子の供述部分についても、被告二郎は右事実を否定しており、仮に右のように発言したとしても、故意があることを前提にした花子の質問に対する返答であって、直ちに故意を裏付けるものとはいえない。

(六) 原告は本件事故直後の被告二郎が「こんな所から落ちて死なないなんて運動神経がいいんだな。」と発言した点を右の根拠として挙げ、被告二郎も認めているが、被告二郎は「もう運動神経良くないんだから。」との原告の発言に呼応して事態を冗談でまぎらわそうと右発言をした旨供述し、右供述は具体的であって前後の状況から見て自然であるので、右事実をもって被告二郎の故意を裏付けるものとはいえない。

4 以上認定した本件事故の経過及び態様に鑑みると、原告が階段の上で被告二郎に対し首をつかもうとした等の点では原告にも本件事故の原因を作出した責任はないとはいえないが、それ自体重大な危害を加えるものでないことに比較して、最初に原告を挑発するような発言をしたのは被告二郎であること、本件事故をもたらした被告二郎の行為は階段からの転落を招く重大な結果を生ぜしめていること等を考えると、本件事故がいわゆる子供同士の喧嘩に端を発したものであることを考慮に入れても、本件事故の大半の原因は被告二郎の側にあるというべきであり、過失相殺の割合としては三割をもって相当とする。

二  争点2(被告松夫、被告春子の責任)について

被告松夫、被告春子が本件事故当時一二歳であった被告二郎の親権者であったことは当事者間に争いがなく、本件事故当時被告松夫、被告春子が被告二郎と同居していたことは《証拠略》により認められる。そして、《証拠略》によれば、被告二郎は穏和な性格で、本件事故以前に他人と喧嘩をして怪我をさせたことなどほとんどないことが認められる。しかしながら、被告二郎は、本件事故直後に、原告の受傷状況を確かめもせず、両親にも本件事故のことを全く報告せず、むしろ隠していたといってよい状況であり、このような事後の対応は小学六年生としてもきわめて幼稚である。また、被告松夫、同春子も当初被告二郎から事実関係を十分確かめず、自分の息子の非を直視せずに過失にせよ生じさせた結果に対する責任をとらせようとする教育的配慮に欠けている。このことからみても被告松夫及び同春子は親として、被告二郎に対して生活全般にわたって周囲の人に危険をもたらさないように行動するよう教育する義務に反していたものということができる。

三  争点3(本件受傷の内容)について

1 足関節外側靭帯損傷

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

足関節についての構造は次のとおりである。足関節は、股関節、膝関節と並ぶ荷重関節であり、脛骨、腓骨、踵骨、距骨等を連結する靭帯結合と可動関節から構成される複合関節である。このうち、距腓靭帯(このうち腓骨外踝(いわゆるくるぶし)の前方にあるのが前距腓靭帯である。)は距骨と腓骨をつないでおり、脛骨に対して足が前方にずれるのを防止する役目をしているが、足関節の靭帯損傷の症例の約七〇パーセントはこの靭帯の単独損傷であるといわれ、足底を内側に回したとき(内がえし、回外)に損傷が生じる。踵腓靭帯は踵骨と腓骨をつないでおり、通常前距腓靭帯損傷を合併して損傷する。そして、距骨下関節は距骨の下部にある足関節の一部であり、その動きは複雑である。距骨下関節の不安定性とは、右関節に過度の動きが見られるということである。

足関節外側靭帯損傷の診断については、次のとおりである。一般に足関節外側靭帯損傷の診断については、ストレス撮影と足関節造影のX線診断が用いられる。これに対し、距骨下関節の不安定性をストレス撮影で証明することは困難であるとされており、診断方法、治療方法についてまだ一般的に確立されたものは存在しないとされているが、専門家による適切な診断、継続的な治療により改善ないし治癒が可能であるとの見解もある。

また、内反足とは後足部のショパール関節(距踵舟関節)で内側に変形した足をいい、内転足とは前足部のリスフランという関節で内側に変形した足をいう。

2 受傷態様及び治療経過

争いのない事実及び《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故以前、先天的内転足ではなかったが、先天的内反足であった。もっとも、日常生活に支障を来す程度のものではなかった。

(二) 平成元年八月三日、本件受傷により、原告は左足を痛め、一人で歩行することが困難であったため、中野駅まで乙川と丙原秋夫の肩を借りて歩いてゆき、バスに乗って帰宅した。

原告は、本件受傷により、左足関節が内出血し腫れ上がり歩行が困難であり、甲田会への通塾においても母が付き添ってタクシーを利用し母が鞄を持っていた。

(三) 原告は、本件事故の翌日である平成元年八月四日以降伊東医院で診療を受けた。伊東医院での診療経過については以下のとおりである。

(1) 伊東医院は、昭和五七年ころ開業し、産婦人科・内科・小児科・外科・整形外科等を診療科目とし、平成元年ころ、伊東医院における医師は、伊東医師と横山医師であった。伊東医師は、産婦人科を主たる診療科目とし、横山医師は、外科・整形外科を主たる診療科目としていた。

(2) 平成元年八月四日、原告は花子と共に伊東医院に来院し、伊東医師が往診した。伊東医師は、主として花子から話を聞き、レントゲンを二枚撮影する等した結果、左足関節捻挫であると診断し、診療録に「八月三日夜、階段より落ちて左足疼痛あり、動かすのが困難である」と記載した上で、患部をサポーターで固定し、消炎鎮痛剤、湿布薬を処方した。

同年九月一日までは患部をサポーターで固定した状態であった。さらに、同年八月八日、伊東医師は、原告につき「左足関節捻挫、上記のため今後約二週間の安静加療の必要があるものと考えます」との診断書を書いた。

同年九月一日には一旦痛みが改善されたが、同月七日までの間に再度痛みが強くなった。

(3) 平成元年九月七日、伊東医師からなかなか良くならない捻挫の患者がいるとの話を受けて、横山医師が原告を初めて診断した。横山医師は、左足関節外踝の下を押さえる、歩行状態の観察をする等の診察をした結果、靭帯が緩んで可動性(内反動揺性)があること(左足関節の外踝の下部の前距腓靭帯に位置する部位に隙間が空き、親指が入るほどであった。)、軽い腫れがあること、運動痛があること、跛行にはならなかったものの左足をかばって主として右足で歩いており左足の着地している時間が短いこと等を認め、右診察の結果を踏まえ、原告の症状につき左足関節靭帯損傷であると診断し、診療録に「一度よくなったが、バスで通学する様になったら、又いたむ」「また、サポーター固定へ」と記載し、「左足関節捻挫、八月三日受傷し、八月四日初診、夏休みの間局所安静・サポーター固定をしてきましたが、まだ完治していないため、九月いっぱい体操と水泳をひかえるようにして下さい」との診断書を書いた。さらに、同年九月一四日、横山医師は、左足関節外踵の下の箇所が緩んでおり疼痛がしばしばある旨をカルテに記載し、低周波治療を開始し、施行した。

(4) 平成元年九月ころから、原告の症状は良くなったり悪くなったりの繰り返しとなり、歩いたり走ったりとすると足関節外踵の辺りにかなり痛みが残る状態となった。

同年一〇月三〇日、横山医師は、原告の左足関節の靭帯が緩く、疼痛もあったので、<1>キプス固定、<2>ハイバックシューズでの足関節の上までの固定、<3>サポーター固定という三種類の治療方法があり、<1><2><3>の順に強力な固定方法であることを花子に説明し、花子と相談した結果、サポーター固定による治療を選択した。

(5) その後も、左足関節の治療としてはサポーターによる固定(ハイバックシューズの使用も適宜伴う。)、低周波治療が中心であった。

平成二年に入ると、伊東医院での治療もマイクロウェーブ療法(深部の温熱療法)が中心となり(同年一月九日から九月二七日まで)、六月上旬ころには足関節があまり内反しなくなり、指も入らなくなった。

(6) 横山医師は平成二年八月六日東大病院を紹介し、同月一七日、東大病院の鳥居俊医師が原告を診察した結果、前距腓靭帯の疼痛はあるが、前後方向の不安定性はほとんどなく、内反時の不安定性も少なくなってきているとの診断をした。

(7) 平成二年一〇月からは伊東医院で再び低周波治療がなされた。同年一一月一三日、原告の左足関節のやや外側よりの部分が粘液が溜まってきたような感じで腫れてきて、ガングリオン(粘液嚢腫)様になった。

(8) 平成三年八月二六日以降、右足親指が二、三回、ひょう疽(爪の部分が化膿して炎症が生じたもの)になったが、その原因としては原告が右足の方に体重が掛かりすぎる歩行をしていたためであると考えられる。

(9) なお、伊東医師ないし横山医師は、平成元年一〇月一二日から平成五年一月一八日までの間、いずれも学校に提出する目的で断続的に原告の左足の状態につき、「左足関節捻挫」との診断をしたが、平成三年三月二八日からは「陳旧性左足関節捻挫」と診断している(陳旧性とは、症状が固定しているとの趣旨である。)。

(10) 横山医師は、平成四年五月一一日、原告の左足の状態等について、意見書において次のように述べている。

受傷直後は、しばらく湿布・弾力鵜包帯固定を行ったが、三、四か月経過しても左足関節の痛みだけでなく左外果の靭帯が緩くすぐ強度の内反足を起こすので、左足のサポーター固定(その形状としては、甲一四参照)を続け、歩行・運動時にはハイバックシューズを使用するよう指示した。

現在(平成四年五月)まで湿布や低周波治療を続行したが、症状は一進一退であり、現在でもかなり疼痛・運動痛が残っており、水泳は可能であるが、陸上運動では体操と歩行訓練程度にとどめている。

原告は左足関節をかばって歩行しているため、反対の右足に負担がかかり、右足に筋肉痛、母趾の爪の食い込み等の症状が発生している他、背中が側弯したり右肩が下がる等の影響が出ている。

その他、全身の骨、筋肉や運動機能の発達にとって間接的な影響があったことも考えられる。

現在の症状固定の程度としては、後遺障害別等級表第一〇級一一号(一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの)に該当し、さらに、第一二級一二号(局所に頑固な神経症状を残すもの)が加味されるものと考えられる。

(四) 原告は、平成六年三月六日から同年四月八日まで、同年八月一五日から同年一二月八日まで神経症の治療のため宮崎の病院に入院していたが、歩く姿が少しびっこを引き、走るときは引きずるようにし、卓球をするときには足をかばっていた。

(五) 平成六年一二月一〇日、野村医師が原告宅で原告を診察したところ、疼痛がなく、不安定性はあるが歩行は可能であり、前距腓靭帯の安定性は獲得されていたが、距骨下関節での内反動揺性(内がえしの方向での不安定性があること)が見られた。

(六) 原告については前記のとおり健康上の理由で本人尋問を実施することができず、反対尋問の機会が与えられず、また、被告らは、原告の現在の障害状況及び精神的・心理的状況等について鑑定の申請をしたが、原告の精神状態を理由に原告側からの強い反対があって実施することができなかったために、原告の左足関節の現在の状況等については必ずしも十分には明らかになっていない。ただ、この点に関して井口傑医師は、本件証拠関係を前提に、「生来、内反動揺性のあった原告が、事故により軽度から中等度の捻挫を受傷し、初めは通常の捻挫と同様に軽快したが、生来の内反動揺性に捻挫が加わり動揺性が強いまま歩行を続けていたために、距骨下関節不安定症ないしは距骨洞症候群の状態になり疼痛と不安定感が一進一退の状態が継続していると思われる。」とし、距骨下関節の動揺性が客観的に有意義であると認められれば後遺障害別等級表第一二級七号(一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの)ないし同級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)と推定され、右後遺障害は適切な治療により症状が軽減する可能性も少なくないので今後適切な治療を施行した後に見直すか、五年程度の有期限の後遺症として扱うべきであるとの意見を述べている。

3 以上によれば、本件受傷内容として、原告には相当程度の左足関節の捻挫があり、靭帯損傷に長期間の歩行及び原告の本来の内反動揺性が加わり、左距骨下関節の動揺性をみるに至ったと認めるのが相当であり、遅くとも平成三年三月末ころまでには一応の症状固定があったものということができる。右の後遺障害の程度としては少なくとも後遺障害別等級表第一二級七号に該当すると判断するのが相当であり、原告は後記のとおり中学三年の六月までは杖など使用せずにほとんど欠席なく登校していたものであり、後遺障害別等級表第一〇級一一号にいう「著しい障害」があるものとはいえない。もっとも、原告の症状については、将来的に改善ないし治癒が全く期待できないものではなく、今後専門家による適切な診断、継続的な治療によりある程度の改善ないし治癒が期待できない訳ではないことが窺われるが、受傷後すでに六年以上経過しているのにその症状に著しい改善が認められないのであるから、その後遺症を一定期間に限定する根拠に乏しいと判断せざるを得ない。

四  争点4(本件事故と後遺障害との相当因果関係)について

本件訴訟での証拠等から認められる前記認定の各事実によれば、本件事故と後遺障害との間に相当因果関係があったものと認められる。しかしながら他方、<1>伊東医院での初期治療は原告の受験勉強を最優先させたもので最善のものではなかったことが窺われること(この点、確かに、本件受傷により距骨下関節に損傷が生じこれが治療の長期化の原因となっていたと考えられるところ、距骨下関節の損傷については診断方法、治療方法が一般的に確立されていないとされているものの、専門家による適切な診断、継続的な治療により改善ないし治癒が可能であるとの見解もあることは前記認定のとおりである。また、横山医師が東大病院を紹介したのは一度だけであり、その時期は本件受傷から約一年が経過しており、遅きに失するきらいがある。)、<2>花子においても、被告松夫らから専門医による治療を勧められながら、被告らに対する心情的反発からこれを受け入れずに原告を伊東医院に通院させ続けたこと、<3>また、前記認定のとおり、本件後遺障害の発生には、原告の先天的内反足が影響しているものと考えられること、以上の本件事故以外の事情による後遺障害への寄与度割合は二割とし、減額事由として斟酌するのが相当である。

五  争点5(本件事故と神経症発症との相当因果関係)について

1 争いのない事実及び《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故後、平成二年私立乙原中学校の入学試験に合格し、同年三月に小学校を卒業し(卒業記念文集では、将来の夢として「東大を出て弁護士になること」と書き、クラスの仲間からもしゃれの面白い生徒として評価されていた。)、同年四月から私立乙原中学校に進学し(この時の自己紹介には、学園生活への期待と希望が述べられている。)、平成四年六月ころまではほとんど欠席することもなく、成績もクラスで中位であった。

(二) 平成四年七月二八日、本件訴訟が提起された。同年一二月一四日、原告訴訟代理人であった戊川梅夫弁護士、甲川秋子弁護士が土肥徳秀医師に対し鑑定意見書の作成を依頼したが断られ、原告はショックを受けた。

(三) 平成五年一月ころ、精神が不安定になり、手首を二回切り、その頃から学校に行けなくなった。

出席状況としては、平成三年度(中学二年)は欠席日数〇日であったのが、平成四年度(中学三年)に入ると、六月ころから欠席が目立ち始め、年間の授業日数が二〇六日のところ欠席日数が二四日となり、平成五年度(高校一年)になると、一学期で授業日数八〇日のところ欠席日数が六四日、二学期で授業日数八一日のところ欠席日数が七六日で、出席日数が不足しているとして留年となり、平成六年度(高校一年に留年)になると、一学期の出席日数は二日であり、平成七年度(高校一年に再度留年)の一学期の出席日数は一日である。

(四) 中野医師は、平成五年六月一八日、原告について一対一で診断した結果、「心因反応(うつ状態)」であると診断し、付記として「平成四年一二月一五日ころよりうつ状態をきたし、歩行運動においての劣等感、強度不安、自閉症的となる。嫌人症があり、不眠、自殺企図が認められる。よって、うつ状態の治療のため休学中であることを証明する。」旨記載した。

(五) 水野医師は、平成五年一〇月一三日、同月二三日の二回、原告宅においてそれぞれ約二時間往診した。同年一〇月二三日、原告について、状態像として、登校できず夜間不眠の傾向が強いこと、集中力が低下し対人恐怖の状態であること、強迫的な(自己の意思でコントロールできない)不安があること、自殺企図が過去に三回あること、家族内で苛立った言動が多いことを列挙したうえで、「集団適応不全を主な徴候とする神経症」と診断し、その原因として本件事故及びその後の裁判の経過が大きく影響していると推定することができるとし、この日、原告は、水野医師に対し、本件訴訟について、訴訟のことで学校の友達からもいろいろ嫌なことを言われるから裁判なんかしたくないんだ、そういう意味でお母さんの考えとは違うんだという趣旨の発言をした。

平成六年二月ころになると強迫不安の度合いが強くなり、退学への不安感等から将来への展望がなくなり自暴自棄になる状況が見られた。

水野医師は、平成六年三月六日から同年四月八日まで、同年八月一五日から同年一二月八日まで、平成七年二月一日から同年三月一一日まで、原告について宮崎の病院において入院治療をし、心理療法を施した。

平成六年三月に水野医師と共に原告は宮崎に行き入院した後、四月には学校に行けそうだということで一旦退院したが、結局ほとんど学校には行けず症状は悪化したので、同年八月に原告が一人で宮崎まで来て入院し、次第に強迫的な不安が軽くなり少し人間関係が持てるようになった。原告は、病院で卓球をしたりしていた。

水野医師は、原告について、平成七年九月二〇日、「性格神経症」と診断し、症状の改善を図るために家族との生活を切り離し下宿から通学するように指導しており、また、同医師は、原告の神経症には家族の影響も大きいと判断していた。

(六) 原告の父母は原告が小学校に入学する前に離婚しており、原告の家庭は母である花子と祖母である甲野ハナの三人家族である。花子にとっては、その成長を楽しみにしてきた原告が本件事故で傷ついたことは極めて大きな打撃であり、本件受傷について、非常に神経質になり、本件訴訟で勝訴することを目指して心身ともに多大な労力をいとわずに行動してきた。

2 以上認定の各事実によれば、本件事故も原告の本件神経症の発症について一つの原因となっており、条件関係が存することは推認することができる。しかしながら、<1>本件神経症発症の時期は平成四年一二月ころとみられるところ、本件受傷から三年以上経過していること、<2>本件受傷から本件神経症発症までの間にさらに受験勉強に打ち込み原告は志望中学を受験して合格し、中学三年の六月ころまでは欠席もほとんどなく成績も中位であったこと、<3>家族と離れ、宮崎の病院で過ごしている間は症状の改善も認められること等からすれば、前記認定の事実によって本件事故と神経症発症との間に相当因果関係を認めることは困難である。

六  争点6(損害額)について

1 《証拠略》によれば、次の損害が認められる。

(一) 積極損害 四六三万〇二〇二円

(1) 治療費及び交通費等 一八万三八八三円

治療費及び交通費等については、足の怪我についての症状固定時期(平成三年三月末ころ)までの部分が原則として損害として認められるが、症状固定以後の部分であっても前記のとおり、本件において症状固定は一応のものであって、症状固定後であってもその時々の症状に応じて治癒に向かった努力をすることは相当であり、このような治療費等については相当因果関係ある損害に含まれるというべきである。

本件でこれに該当するのは、伊東医院、東大医院、原整形外科医院、東京都立心身障害者センター、宮嶋整形外科での治療費及び交通費等である。

また、足関節サポーター代金、消毒薬代金については、それぞれこれに符合するかに見える書証があるものの、関連性及び必要性について立証が十分になされておらず、これを認めるに足りない。

(2) 通塾費用 七四四〇円

《証拠略》により認められる。

(3) 家庭教師費用 四〇万円

八六万四六〇〇円を支出したことは、《証拠略》により認められるけれども、塾に行くことの代替措置としては高額に過ぎ、その約二分の一である四〇万円をもって相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(4) 塾費用 一二万二四四一円

<1> 既に払い込んでいた甲田会の塾費用(平成元年九月一七日から一〇月末までの分として六万六四三五円)、四谷丙山進学教室の塾費用(平成元年九月分から平成二年一月分までとして五万六〇〇六円)が、本件事故により原告が平成元年九月一七日から通塾することが不可能となったため無駄となった部分であり、《証拠略》により認められる。

<2> 平成二年に払い込んだ丁川塾の塾費用(平成二年四月分から七月分までとして六万三〇〇〇円)、戊原会の塾費用(平成二年三月分から七月分までとして四万三九三五円)、甲川会の塾費用(平成二年四月分から七月分までとして六万九四一〇円)が、本件事故後の足の痛みと体力衰弱により受講できずに無駄となった部分については、これに符合するかに見える書証が存在するが、事故後相当期間が経過し症状も安定した時期に支払った金員であること等から相当性がないものと解される。

(5) 通信費、訴訟関連費用等の雑費 〇円

一部これに符合するかに見える書証は存在するが、相当性がないものと解される。

(6) 足関節固定用の靴代金 二五万〇八六八円

《証拠略》により認められる。

(7) 医師、看護婦への謝礼 一三万四八七六円

《証拠略》により認められる。

(8) 器具購入費用 三万〇六九四円

《証拠略》により認められる。

(9) 将来の装具代、靴代金 三五〇万円

原告が、将来、左足の装具代及び靴代金を必要とすることについては、《証拠略》により一応これを認めることができるが、将来のこととはいえ、その具体的な必要性(装具及び靴を交換する回数)及び費用については証拠上必ずしも明らかではない。

当裁判所は、前記認定の諸事情を勘案して、少なくとも三五〇万円の損害があるものと認めるのが相当である。

(10) 医療過誤問題経費 〇円

いずれも本件事故との相当因果関係がないものと解される。

(11) 裁判資料作成費 〇円

後述の弁護士費用の中で考慮すれば足りると解される。

(二) 消極損害(逸失利益) 九八二万七九六九円

前記認定のとおり、原告は後遺障害別等級表第一二級七号相当の後遺障害により一四パーセントの労働能力を喪失した。これにより原告が被った後遺障害による逸失利益(原告が二六歳から六七歳まで就労すると仮定した場合)は次のとおりである(平成二年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模一〇〇〇人以上・新大卒男子労働者の全年齢平均賃金額に労働能力喪失率を乗じ、これに六七歳までのライプニッツ係数から二六歳に達するまでのライプニッツ係数を差し引いた数値を乗じたものである)。

6942500×0・14×(18・4180-8・3064)=9827969

(三) 慰謝料 五〇〇万円

原告が本件受傷により被った精神的損害、後遺症が残ったことにより被った精神的損害に加えて、原告が結果的に神経症発症に至り登校できなくなり私立乙原高校の退学を余儀なくされるという一連の経過があること等諸般の事情を勘案すれば、原告の精神的損害を慰謝する金額は、五〇〇万円をもって相当であると解される。

2 以上の損害を合計すると、一九四五万八一七一円となる。これに、本件事故に関する過失割合三割、原告の素因等に基づく寄与度割合二割(なお、伊東医院は本件事故直後から原告の診断、治療に関与していることから、この部分は損害項目全てに関係するというべきである。)を合計した五割を控除すると、九七二万九〇八五円となる。

3 また、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は五〇万円と認めるのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤 康 裁判官 稻葉重子 裁判官 山地 修)

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